脅威とは、私達が脅威として観測した時点でなり得るもの。
私達が出来事を脅威として受け取った時にのみ、脅威として存在することが出来ます。
起きた出来事はそれ単体では『ただの出来事』です。
現実は幻、睡眠時に見る夢と同質なんです。
起きた出来事自体には、なんの影響も私達に与えることは出来ません。
ここで私の例を挙げさせてもらいますと。
近頃はコロナだけでなくインフルエンザが猛威を振るっていますよね。
コロナだけでも大変なのに、インフルエンザまで……と、
私の周りでは結構深刻な感じで騒がれています。
ですが私にとってはコロナやインフルエンザは脅威ではありません。
感染したらどうしよう……という恐れが一切ないんです。
感染することを全く想定してないというか、感染と自分が全く結びつかないんです。
どれだけ周りが不安を駆り立てるような(?)言動をしてきても、ブレることはありません。
とにかくそれらの影響を受ける自分が想像できない、脅威ではないと思っているんです。
で、結果的に周りが感染しても私は全く無事です。
感染してない方がおかしい!……という状況にもなったんですけど、
保健所の指示のもと3回検査して3回とも陰性でした。
当然の結果だと思っています。
『脅威』じゃないものが、私に影響を与える事など有り得ないからです。
逆に、光熱費高騰とかのニュースとかには反応してしまいます。
気を抜くと、反射的に脅威だと感じてしまってるんです(汗)
冒頭でも言ってる通り、現実世界で起きている事は『ただの出来事』ですから、
これもコロナやインフルエンザ同様、私が脅威だと受け取らなければ良いだけの話なんです。
脅威だと受け取ってしまった!
どうしよう、現実化してしまう!……と、昔の私なら落ち込んでいましたが(笑)
最近では「あ、また反応しちゃった☆(テヘペロ〜)ただの出来事なんだった☆」と気付いて、
「別に脅威でもなんでもなかった!」と、思い直すことが出来てますので
今のところその手の現実化なんてしてません。
脅威なんか元々ない。
私達が勝手に『単なる出来事』と『脅威』とを結び付けてただけなんです。
お試しなのかなんなのかは知りませんが……現実というものは、
ちょいちょい抜き打ちでこっちが引っかかりやすいような出来事を起こしたりします。
悔しいかな結構な確率で引っかかりますが、
「ハッ!……また引っかかった」と、気付き続けてると
そのうち気付くスピードが早くなって、引っかかることが段々なくなっていく。
自分が陥りがちな思考パターンに気付き続けるのは結構大事なことだと、しみじみ感じます。
抜き打ちのお試しに引っかからずに白けた目で見ていると、
今まで『脅威』だと思っていたソレもいずれ虚しく崩れ去っていく。
本当に脅威なんかないんです!
抜き打ちテストに(?)引っかかっちゃってるだけなの!w
私達が『脅威』だと反応し、力を与えていたから存在していただけ。
脅威として存在することを私達が許可し続けていただけとも言い替えることが出来ます。
日々生きていく中でギクッとするような出来事もあるかと思いますが、
一旦落ち着いて、この出来事に力を与えているのは誰だ?っていうことを
自問してみると良いかも知れませんね。
本日も最後まで読んでいただきましてありがとう御座いました!
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