言語は感度を鈍らせる

黙って、のジェスチャー 日記

 

おつかいの帰り道、からあげクン(海老味噌味)とミルク味プリッツを衝動買いしちゃいまして(てへっ)

両方とも「うまっ~♡」でした。

食べてる間、ずーっと「うま~♡幸せ~♡」って感じで。

……別に何も問題ありませんよね?単に幸せを感じてるだけなんだから。

 

で す が ね?

普段当たり前に出てくる頭の中の会話、

言語を出す時も多少なりとも脳内の労力を使っているわけなんですよ。

まっったく気付かなかったんですが。

私は試しに言語を封印して、からあげクンを口にしてみました。

 

普段なら「うま~っ!」の一言で済んでしまうところ、

肉汁の旨味とかエビの香りとか肉のプリッと感とか……

なんというか、感度が増したのを体感したんです。

 

言語を出す労力を「口の中の幸せ」にのみつぎ込んだ結果、味覚の感度が増したのでしょうか?

なんにせよ、幸福感がいつもよりもアップしたのは間違いありません。

言葉とは、他人とのコミュニケーションツールとして活用するものであって、

自分の中で言葉なんて必要ないのかもしれません。

 

 

私はなるべく言語を封印して、雪の中を歩いてみました。

キリッとした冷たさの空気、踏みしめる雪の感触と音を足の裏で感じ、

睫毛で溶けた雪の水滴が陽の光でキラキラして綺麗でした。

頭の中のお喋りにかまけていた時には気付けなかった些細な幸せが、そこらじゅうに転がっていたのです。

それに気付いてからというもの、言語を封印して体験してみるということに病み付きになってしまいましてw

 

で、これって『今』を感じるということなんじゃないだろうか?

と、今更ながらに気付いた次第です、ええ。

他人と喋る時とかブログを書く時以外は言語は使用しておりません(笑)

な~んだ、幸せ感じるのって簡単じゃんって感じで、単純に素直に嬉しいです。

参考にしていただけたら幸いです。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただき有難う御座いました。

 

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