その日、私はとてつもなく憂鬱でした。
それはある方の月命日の集まりがある日で。
毎月出席しなければならず、本当に憂鬱で憂鬱で仕方ありませんでした。
っていうか、集まり自体が嫌なわけじゃないんです!
故人に手を合わせたい気持ちはあります。
顔を合わせるのが嫌な人がいるとかそんなことでもありません。
もっと、なんていうか……くだらない理由で。
かしこまった場で、お客様は大勢いて、厳かな雰囲気で、長時間の正座が暗黙のルールで。
そう、長時間の正座……。
私は数年前からつい最近まで股関節の調子がすこぶる悪く、
長い間同じ姿勢で座っていることがホントに本当に苦痛だったんです。
しかし膝の悪い人まで正座しているような場で、足を崩して座るなんて……とか、
そんなことを延々と考えては悶々と迫り来る月命日行事の時間を迎えようとしていました。
ダラダラくだぐだ「嫌だ嫌だ」と長い時間を過ごしていたせいで、
思考がおかしくなっていたのかも知れません。
「だーっ!もういいっ、正座しない!例え白い目で見られたからってそれが何だって言うんじゃ!
ワシが世界の中心じゃ!ワシに合わせろやぁっ!」
……こんな風に、心の中で妙な具合にブチギレまして
その通り、その日私は最初から最後まで足を崩して座りました。
……クレイジー。
しかし、だーれも白い目で見てきたりなんてしなかったし、文句も嫌味も言われませんでした。
それどころか終わった後でお坊さんが
「お経の時間も短いものではありませんので、
皆様楽な姿勢でお座りになられるか椅子のようなものにお座りください。」と。
もう何年もやっている行事、何年も付き合いのあるお坊さんが、
その日初めてそんな事を言い出したんです。
その日私は、お坊さんの死角に座っていたので様子を見られていたわけではなかったし、
数年前にお経の途中で正座を崩すところを冷ややかに見られたりもしていました。
その時は「正座は慣れですよ。習慣にしていればいずれ慣れます」と言われました。
要するに慣れろと言われていたんです……何年もずーっとね。
だからこそ、「正座せねば~せねば~……」と、毎月憂鬱になっていたんです。
それなのに急に正座はやめて楽な姿勢で座れと言う……。
何年も付き合いのある頑固坊主が、今までの言葉を覆す発言。
急な心変わりにしても、「ワシが世界の中心じゃ!」と、私がブチギレたその日に??
どう考えてもタイミングが良すぎない?
っていうか、正直お坊さんの「正座はやめて」発言の直後にはもう、
やっぱり世界は私に合わせるんだ!!っていう確信で頭の中がお花畑状態でした。
私にとっての月命日の正座の不可避は覆りようのないことだと思っていたからです。
それがいとも簡単に覆ったことで、私はとてつもない確信を得ました。
私にとってあの場で、最初から最後まで足を崩して座ることは『怖いこと』でした。
でも「嫌だ~、嫌だ~」と思いながらも従い続けていたら、何も変わらなかったでしょう。
吹っ切れて(ブチギレて)開き直って、「ワシに合わせろ!」という心的態度が良かったんだ。
……きっとw
嫌がってるくせに、その『嫌な現実』に従うというアベコベな態度はやめました。
やりたいこと、やりたくないこと、自分の思いに正直に従う。
現実に合わせて自分の思いを押し込めない。
現実がこちらに合わせるんです!
覆らないと思っていた事さえ、簡単に覆ります。
怖いと思っていることも、一度開き直ってみればなんということもありません。
本日も最後まで読んでいただきまして有難うございました。
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