重々しいリアルと夢という記事で、
現実は、眠ってる時の夢(以下、夢)と一緒だという感覚になってるって話をしたんですけど。
あながち間違いでもないかもって思う出来事があったんで、今日はそのお話を。
私は連続して同じ夢を見るってことはないんです。
内容はいつもバラバラで。
でも場所とか景色は同じだったりする事も多くて、お馴染みの場所が結構あります。
現実世界とはほとんど一致しない、夢の世界固有の場所がね。
バス乗り場とか、軍事施設的な場所とか、フードコートとか、駅前とか様々。
古臭い場所もあれば都会っぽく整備されてる場所もある。
子供の頃よく見てたのは駅前周辺の夢で、三日に一回は登場してたw
私が見る夢の中では特に近代的で、
バスの乗降場が点々と配置されてて、時間調整のバスの待機場所もあるバス専用エリアと
一般車両とタクシーが通行&停車できるエリアが駅の真ん前にあるんです。
で、駅の外観もキレイだし周辺の景色も都会~!って感じに見えた。
内容は覚えてないのに、その景色だけはよく覚えてたんです。
その場所の夢を見なくなっても、その景色はずーっと覚えてた。
で、そんな夢を見ていた事も忘れかけてきた頃……
現実世界でその景色を目の当たりにしました。
住んでいる市内中心部の駅が、夢のまんま再現されていていたんです。
その景色を見た時に「あれだ……昔、夢で見てた景色だ」って、思い出した。
なんなら夢で見たものより素晴らしくなってたくらいw
細部に渡って凄く丁寧に創り込まれててちょっと……ってか結構感動した。
私が住んでいる住宅地には商業施設も充実してるし、
市内中心部に行かなくても生活するのに事欠かないんです。
だから駅前に行くのも十数年振りくらい……?
その間に駅周辺の町並みが激変していました。
観光客に対応するために都市開発が進んでる~的な
よくある『現実的辻褄あわせ』も、ちゃんと機能してましたけどねw
夢って、現実世界を反映してるものだと思ってたんです……ずっと。
だから子供の頃見た駅周辺の夢も、そうなんだろうって思ってた。
テレビかなんかで観たものを記憶して夢に反映させてたのかもなって。
でも違った。
逆だった……夢で見てた場所が、現実世界に現れた。
夢が先で現実が後。
現実が追いついたって言ったら伝わるかな。
私は夢で見た場所を現実世界で味わいたいなんて願望も別になかったんですけど。
ただ、その景色を目の当たりにしてから、
現実世界って、固定化された絶対的な世界ではないのでは?
日替わりで軽やかに移り変わっていく夢と同じなのでは?
恐れで以ってそれを固定化して、取り組むという自作自演をしているだけでは?
って、思ったの。
そうではないという根拠を立証する事の方が今の私には難しいかも。
現実って本当に深刻に関わらなきゃならない世界なのかな?
苦しみながら従わなきゃいけないものなのかな?
今まで確固たる物みたいに思ってたけど、違う気がしてきて。
っていうか、『絶対的な存在である私』が
確固たるものとして現実を扱っているから、現実がそのように振舞ってるだけじゃないの?
本当は夢みたいにふわふわ軽やかで何でもアリなんじゃないの?って思えた。
わざわざ恐れを以って取り組もうとしなくてもいいんじゃないの?って。
目に見える物は全部カタログ商品という記事でも言ってるんだけど、
夢も現実も世界が創られる原理的には一緒だっていうことが、
急にストンと腑に落ちちゃいまして。
なーんだ!だったら……
お金で苦労している現実、だとか
人間関係で苦労している現実、だとか
容姿で悩んでいる現実、だとかetc……
直面している現実というものを、これが私の現実!って固定しなくても良くない??
って感じで、肩の荷から解放されたような気がしました。
なんとなく現実への特別視っていうのが薄れて、
どんな無理めな願望でも「あ、叶うわ」って感覚が掴めた出来事でした。
本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました。
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