目に見える物は全部カタログ商品

 

日頃、我々は色々なものを目にしています。

お金もそう、イケメンや美女もそう、不細工もそう、請求書もそう……。

全てはこの世界にあるのに、何に焦点を当て何を無視しているのか。

 

自宅のポストにモデル住宅のパンフレットと、何かの請求書が入ってたとします。

あなたはどちらに焦点を当てるでしょうか?

 

恐らくモデル住宅のパンフレットは傍らに捨てて、請求書に焦点を当てていると思います。

モデル住宅のパンフレットは捨て置かれて存在すら思い出されずにゴミとなるでしょう。

勿論もちろんそれが悪いって話をしているわけではありません。

 

ただ、どちらに現実味というリアルを持っているのかと思って。

モデル住宅のパンフレットなんてお金持ちが見るものでしょって、

自分には無縁だと切り捨てている……ということ。

 

ここから本題ですけど。

 

この世界にはあらゆるものがあふれているんです。

全てが既にあるの。

 

あなたが焦点を当てるか当てないかだけ。

 

ないないない!って、否定し続けているだけ。

見ようとしてない、焦点を当てる気がないんです。

焦点を当ててしまったら、現実を見てわびしくなるから。

この世界に溢れているものを所有しているのは『私』ではない。

そう思っているからなんだろうね……。

 

この世界のものは全て私が創った!と、思ってても

ふとした時に、この現実ではそれは無理……と思ってしまう『私』も居る。

やっぱり何をリアルにしちゃってるかで決まるのかな。

長いこと人間生活してると、ついつい現実にだまされちゃうこともあるよね!(てへっ!)

 

まずは力を抜きましょう!

重々しいリアルと夢っていう記事で私は、

夢って並行世界のカタログか何かなんじゃないかってふと思ったと書いてます。

相変わらずぶっ飛んでてすみませんw

 

でも割りと大真面目に、夢も現実も

世界が創られる原理的には一緒だと思ってるんですよ。

 

夢の世界ってぶっ飛んでるじゃないですか。

空を飛んだり、性別が変わったり、次の場面にすぐ切り替わったり

なんでもアリじゃないですか。

 

それを夢だと割り切って夢の世界を楽しんでるんだと思うけど、

夢の世界にいる時は何も抵抗しないで、色んな体験を受け入れてるでしょ?

こと現実になるとアレだからコレだからと頭の中で色々仕分けて現実に忖度そんたくしちゃう。

 

 

でも

全ては幻で、全ては可能。

 

夢も現実も全ては幻なんだから、全て可能なのは当たり前だよね!!

あなたが認めようが認めまいが、それが真実なのだから仕方ないw

 

タイトルには目に見える物はって書いてるけど、

思い描けるものは全部、カタログ商品なんじゃないかな。

 

ハイブランドなアクセサリーも、ラグジュアリーな家も家具も車も。

エクセレントな恋人も、幸せすぎる経験も、思い描けるものは何もかも!

ホントはぜーーんぶ可能なんだよ。

 

現実に忖度しちゃって、好きなものを素直に選べてないだけなの。

だけどね?

現実を見て「手が届かない」と嘆いている素晴らし過ぎる物も、

本当はあなたが創り出した物なんだよ。

 

現実が自分の生きる世界じゃない。

内面……別の領域的なものが自分であり、自分の生きる世界。

別の領域的なものには境界線はないし、不可能も不幸もない。

選びたいものだけ選ばせてもらえる。

 

あなたの内面にあるカタログの中から、

好きなものを素直に選んで良いと言われたら、あなたは何を選びますか?

現実なんか関係ない、内面の話だから。

内面には全てがあるよ。

あなたの内面にある無限の商品の中から、あなたはどんなものを選ぶ?

 

選んだものが届くってあなたが信じるなら、届くとしか思えないなら、きっと届くよ。

別の領域的なものと現実が、そのように従ってくれるから。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました。

 

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