放置のススメ

のーんびりな猫 メソッド

 

私にも過去に何度か細々とした成功体験があるわけですけど……。

なんでそうなったんだろう?と、ふと思ったんです。

何かしらの共通点があるはずだ!と。

共通点、それは……

 

 

放っておくことだったりするかも。

 

 

この間の記事(怪我が無くなった話)でも、私はザックリ切った指に餅を塗って放置して忘れていたし、

過去の恋愛でも片思いの彼のことを忘れて放っといたら好転したという経験があった。

 

その時に直面した『問題』にかかりきりになるという態度でいたとしたら、

問題は問題のままそこに存在していたか、悪化してたかだと思うんですよね。

 

「じゃあ、問題を解決する為(願望を叶える為)には放っておけばいいのね!」って解釈すると、

それも違う気がするんですよ。

本当にその願望なり問題なりを完全に忘れていなければ「放っておいた」ことにはならないんです。

 

頭の片隅にでも願望や問題が残ってて、

それが現状と変わることを期待しながら放っておいたつもりになっても、

それは『放っておいたフリ』をしてるだけになっちゃう。

 

放っておくという事は、完全に忘れる事でもあるんです。

問題や願望を忘れる……容易なことではないと思います(汗)

 

念の為言っておきますけど、忘れるということは諦めることとは違います。

手放すという事とイコールです。

スピ界隈でジプシーしている方は

往々にしてこの願望を手放すということに激しく抵抗があるはずです。

 

何故なら、信じ切れていないからです。

潜在意識的なもの、別の領域なものを信じ切れていない

だから『私』が、見張っていなければ!と思ってしまう。

願望なり問題が変化していく様子を逐一見届けないと安心できない。

『手放す』なんて、とんでもない!と。

……いや私がそうだっただけなんすけど(笑)

 

急に話が変わるんですけど、この間パチンコ行ったんですよ。

そしたら隣に座ったおばさんが妙に私のことをジロジロ見てくるんです。

もちろん知り合いでも顔見知りでもありません。

 

そのb……おばさんは、リーチがかかって覗き込むだけでなく、

ガセ演出とか台の細々した挙動きょどうまでとにかくチラチラジロジロ見てくるわけです。

 

 

それだけならまだしも私のペットボトルの開け閉めやジュースを飲むところ、姿勢を変えたり、

離席してトイレにいく様子までね……。

話しかけてくるでもなく、そちらに顔を向けると目が合う前にそそくさと視線を顔をそらしたり……

なんやねんっ!(怒)って感じでかなりイライラした。

 

もうね、監視とかイジメでもされてる気分になって、気が狂いそうでしたよ(怒)

「もう放っといてよっ!!!」って泣きたくなりました。

で、不意に「あれ?でもこれって私、自分でもやってないだろうか?」と思ったんです。

問題や願望に対してもそうだし、何より『私自身』に

 

もっとこんな顔になったらいいのに……と、鏡を見る度に落ち込み、

もっとスタイル良くなりたい……と腹の肉を見る度自己嫌悪に陥り、

もっと経済的にゆとりが欲しいな……と、通帳を見る度不安を募らせたり。

そういった不満や不安、上手くやれているのか?などなど。

嫌な感情が湧き出しそうになった瞬間、スササッと気付かないフリして逃げたりとかね。

こんなの生きていたら普通だよ!と思う方もいるかも知れませんが、スピ的にはNGでしょ。

 

自分を責めるのがいけないというより、干渉し過ぎ!

それこそパチンコ屋で会ったおばさんのように。

 

『自分』に対し、悪気なくストレスを与えているのではないか?と。

自分=意識(単なる意識体にストレスとかはないんだろうけど)

問題や願望をいちいち見張るのってしんどくない?

しんどい上に、その態度が好転を邪魔してるんだったらやめれば良くない?

 

じゃあ、や~めた!って感じでやめました。

なんというか、肩の荷を降ろしたような感覚です。

 

現実というのは何かしらのメッセージで『何か』を気付かせようとしてくれる場合もあって、

それが今回のパチンコ屋のおばさんという強烈な体験なんでしょう(多分)

多分それまでに何度かそういう事があったんだろうけど、

なかなか気付かないからドギツイ方法で気付かせてくれたんだろうなぁ(遠い目)

 

 

別の領域的なものへの信頼については……

最近の記事『スピ廃人、色即是空を垣間見る』だったり一体何が現実を創っているのか』でもお話ししたように、

別の領域的なものが主であり『自分』で

『私』というものは従であり本来の自分が創り出した分身

 

これまでは『私』にじくを置き、別の領域的なものをどこか遠くに感じていた。

でもそれは間違いで、じくは別の領域的なもので、『私』というものはただのえ物。

 

意識体である『自分』が出来ないことを、人間という体を持った『私』が代わりに経験する。

その為だけに創られた存在が『私』というもの。

『私』が問題を解決する!願望を達成する!別な領域的なものはただサポートしてよ!ってそれは無茶だ(笑)

『私』に出来ることなんてせいぜい事態を引っ掻き回すことだけ。

ホントもうバカバカしいよ……

 

や~めた!(二回目w)

 

全てにおいて干渉したり心配したり怖がったりするのは、もうやめた~!

何もかも全部、私自身を放っておく!

思考、感情、言語(頭の中のお喋り)も、ただ流れるまま放置して、もう構わない乗っからない!

別の領域的なものに全部お任せします!

 

怪我が無くなった時だって、「血を止める」つもりで放置してて忘れた結果、

あれ?どこ怪我したんだっけ?ってなって。

 

だから、悪いようには絶対ならないんだよな~……むしろ願った事より良い結果になったわけだし。

「私は血を止めろって言ったんだよっ!怪我自体がなくなってど~すんだよ、ムキーッ!」

とはならないでしょ?w

願ったことを願った通りに叶わないと絶対嫌っていうのは、

上のようなセリフを喚くのと同じことなんじゃないのかな?って。

 

そんなこんなの気付きがあって、放っておくことの重要性を改めて考えさせられました。

何かの参考にしていただけたら幸いです。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました!

 

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