幸せ過ぎて大号泣?

号泣する女の子 気付き・心の在り方

 

昨日の記事で言っていた『これまでの人生で初めての経験』について書きます。

きっかけは昨日の記事で紹介させていただいたブログの最新記事を読んだ事で、

とんでもない気付きを得たからでした。
(厳密にはその一つ前の記事でも衝撃を受けていたのに、何故かスルーしていたようだ)

 

このブログでも口を酸っぱくして抵抗や思考は無駄だと言ってきたのに、

私はこれから起こるかもしれない出来事についての恐れやモヤモヤに襲われていた。

 

天国(宇宙とか別の領域的なもの)についての信頼はあるはずなのに、

癖なのか何なのか現実の重みや自分の恐れに関する想像力に押し負けてしまう。

 

「こうなったらどうしよう」「嫌だ嫌だ嫌だ」という発作的な思考に襲われて、

正直生きてるのが苦痛だとさえ思ってしまうくらいに精神が疲弊していたんです。

そんな時にお気に入りのブログが久しぶりに更新してて、

自分に染み込ませるようにゆっくりと読んだ。

 

経験するために生まれてきた。

 

良い事も悪いことも関係なく、色んな事を経験する為に生きている。

それは理解していたつもりだった。

だけど全然理解できていなかったんですね。

 

私はその記事の

宇宙で一番価値のある存在として、愛され続けている。

って言葉に何故かショックを受けたんです。

 

天国(上記でいう宇宙)に無条件に愛されている。

それは理解できていたつもりだったのに、私は全然わかっていなかった。

私が「嫌だ嫌だ」と思っている事さえも天国からの愛だったんです。

意味不明ですかね。

 

天国が意図して私に意地悪なんてするわけがないんです。

「嫌だ嫌だ」と思っていることは、いつかの私が『体験したがっていること』だった。

「嫌だ!」を体験したかった。

 

そこに意図はなかったとしても、間違いなくそうなんです。

私がそれに気付かずに抵抗を続けるからループし続けていた。

いわゆる『再配達』ってやつです。

天国は私が喜ぶと思ってそれを創りだしてくれたのに、私は抵抗する。

 

 

天国はベースは保ちつつ手を変え品を変えそれを届けてくれる

……それでも私は受け取り拒否を続ける。

だから類似した付属品まで付いて届けられた。

私は嫌だと思っていたから『嫌がらせ』として捉えていたけど、それが愛だったとしたら?

私を喜ばせる為だけに一途に創り続けてくれてたんだとしたら?

 

嫌なものは嫌なんじゃ!って、いつもの私なら強情にそう思ってたはず。

でもその時の私は自分の愚かさに愕然としたんです。

そして、天国の愛を踏みにじり続けていた私に、尚も愛を送り続けてくれることに、

自分の愚かさに、果てしなく愛されていたことに、

感謝とか反省とか幸せとか色んな感情が入り雑じって大号泣しました。

 

映画を観たり、悲しくてとか悔しすぎてとか怒りすぎて泣くことはたまにあります。

でも、幸せとか感謝の気持ちが溢れ出して大号泣するなんて、

これまでの人生で初めてのことだったのでビックリです。

 

現実はな~んにも変わってません。

問題も解決してません。

だけど泣いたせいかスッキリした。

受け取り拒否し続けたものをちゃんと受け取ったような気がして、

もう多分ループは終わるっていうゆるめの確信と安心感があります。

 

スピ廃人がよく陥り、しかも気付きにくい

「理解は出来ているけど自分に落としこめていない罠」に

まんまとハマっていたことに気付けて良かった。
(ちょっと前の記事で似たようなこと書いてたはずなのに……)

そんなこんなで人生初体験な出来事でした。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

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