何を己のリアルにしているか?

明暗 気付き・心の在り方

 

臨場感りんじょうかんのあるイメージングが大切です。

むしろそれが出来なければ引き寄せは出来ません。

……的なことを書いているスピブログがあって、

メソッドジプシーしていた頃の私の心は、物凄ーく反発したものです。

というのも、私はイメージングが滅茶苦茶めちゃくちゃ苦手だったので……(笑)

 

そんな私も、ようやくその方の言っていることがわかったような気がするので、

今日はその話をしてみます。

 

昨日の話でもお話しているのですが、

不満に思っていて変えたい現実、自分が生きなければならないと思っている現実。

嫌だ嫌だと思っている気持ちに比例して、それを自分のリアルだと信じ込んでいるんです。

そして叶えたい理想、それをどのくらいリアルに思えているのだろう?

 

例えば好きな人に愛を告げられることをイメージするとします。

相手の手の温もり、相手の声、優しい眼差しに高鳴る鼓動、

自分と同じ気持ちを告げられて込み上げる喜び、嬉しすぎて泣いてしまうかもしれない。

そこまでリアルに感じられますか?

単なるイメージで終わらせずに、それを現実だと思えますか?

 

逆に、今月も支払いが出来ないかも知れない……どうしよう。

胸を剃刀でえぐられるような嫌な動悸、脳味噌まで脈打つくらいグルグル回る嫌な思考。

そんなイメージは簡単にリアルに感じられてしまう。

これだって単なるイメージなのに、それが現実だと思い込んでいるよね。

 

 

思い込むも何もそれが現実だから……と、

何の疑いもなく嫌なものを現実だと言って、簡単に自分のリアルにしている。

 

本来は何もないんです。

決められている事なんて本当に何一つない。

 

お金に困る未来……

それは『今』自分が勝手にイメージしてリアルに感じて現実だと思っているだけで、

本当は何にも決まっていないし、何も起こっていない。

それなのにそれを現実だと決定しているのは自分自身

絶大なリアルと信頼を与え続けていたんだよね……疑う余地もない程に。

 

不足を疑うとか現実を疑うというメソッド(?)は、

 

リアルを薄めるためのものなんじゃないかと思うんです。

 

本来何にも起きていないのに、

悪いことしか起きる気がしない。

悪いことにしかリアルを感じられない。

しかも一旦そのモードになると、抜け出したくてもなかなか抜け出せない。

 

そんな時に「本当にそうなのか?」と、本気で現実や不足を疑ってみる

すると「なんでそれをリアルだと感じていたんだろう?」と冷静になれたりする。

 

イメージングが苦手だ苦手だ言ってるくせに、私は望まないことにイメージ力を

つぎ込んでリアルを感じ続けていただけだったんですよね(汗)

裏を返せば、イメージングめっちゃ得意だったってわけですよ。

……好ましくないイメージ専門でね(遠い目)

 

ただね、望むイメージがリアルに感じられなくても良い。

最低でも、望まないイメージにリアルを与えるのはやめようって思った今日この頃なのでした。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました。

 

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