怖がっていた。
自分で創った世界だとわかっているのはずなのに。
世界の何もかもが怖い。
全てが敵で全てが自分を責めていると思っていた。
達人さんの話や色んな人の成功体験の話を読んでも、自分の人生に落とし込めなかった。
「ああ、へぇ~、凄い!そんな事も起こるんだ!」
一瞬のモチベーションアップにはなるけど、自分の人生の糧に出来なかった。
毎日毎日アファメーションしたりメソッドをしても全然効果が出なくて失望した。
メソッドもアファも効果がある人にはあるよ?
でも私には、笑えるほど効果が無かった。(その辺の理由は昨日の記事で話してます)
極度な怖がりで、自分の人生に信頼なんて全く出来なかった。
子供の時はこうではなかった。
怖いもの知らずだった。
近所の意地悪な男の子と取っ組み合いのケンカもするし、
一回りくらい年上のヤンキーのお兄ちゃんにまでケンカを売るくらい怖いもの知らずで。
じゃあなんでこんなに怖がりになったのかと言ったら……
親に「小学校に行ったら今みたいに自由に遊べないし、ちゃんとしないと学校のお友達に笑われるよ」
っていうことをよく言われるようになったからです。
自分の子供が学校という社会に出て恥かしくないように注意を促すのは親として当たり前のこと。
だけど言われた方はなんだか脅されているような気になってしまったんですね。
今みたいに自由ではいられない。
ちゃんとしないと恥かしい。
その事が気になって、自分はちゃんとやれるのか?出来なかったらどうなるんだろう?
と、漠然とした不安がわき始めました。
それからというもの、毎日が楽しくなくなりました。
以前なら朝目が覚めただけで嬉しくて、太陽の光がキラキラしてるだけでワクワクしていたのに。
ズーンと重たい物がまとわりついきて何をしてても楽しくない。
遊んでいても「こうやって自由に遊べるのも後何日かぁ…」と、
目の前の楽しいことに集中できなくなっていました。
そうやって過していたもんだから、入学式当日から嫌なことが起きました。
私が唯一怖がっていた近所のガキ大将が隣の席だったのです。
大人からしてみれば大したこと無い話ですが、当時の私はこの世の終わりくらいに絶望しました。
学校の先生も嫌な人だったし、クラスの女子も意地悪な子が多かった。
入学当初は本当に学校が大嫌いでした。
子供の頃の私はそういう人生を創り上げてしまった…。
「小学校なんて行きたくない」「嫌だ嫌だ嫌だ」と毎日のように思っていました。
だから学校に行きたくない、学校なんて嫌だ!と思うような現実がその通りに創られてしまった。
起こる事に抵抗してしまっていたから。
例え親に「小学校に行ったら今みたいに自由に遊べないし、ちゃんとしないと学校のお友達に笑われるよ」
とか言われても「ふ~ん」と流して気にしなければそれで良かったのです。
朝、目が覚めただけで嬉しくて、太陽の光がキラキラしてるだけでワクワクしている状態のまま
維持していれば良かったのです。
「お母さんはあんなこと言ってたけど学校楽しみだな♪」そんな風に思えていれば良かった。
しかし私はそうできなかった。
そして創造の世界なんて知らない私は事ある毎に、
恐れ、抵抗しまくって、恐れの世界を強化していった。
恐れることが当たり前になった。
私が願望や現状を手放せなくなったのはこんなところ。
手放しが出来ないというのは抵抗しているということ。
手放すことに抵抗しているんじゃなくて、自分の人生を信頼するということに。
心配な人生を創造したくないなら心配をやめればいいだけなのに、
心配することを止めたら大変なことになるという思いにつきまとわれてやめられない…。
心配しても上手く行かないことがわかりきってるのに、「大丈夫」と心配を手放せない。
この抵抗を捨てたら上手く行く。
それがわかってるのに「でも上手く行かなかったら?」という抵抗がわく。
延々ループ。
だから「えいっ!」って吹っ切る勇気は最初のうちは必要なんだよね。
抵抗をやめなければ上手く行かないことはわかりきってるんなら、
抵抗をやめるしかない。
だって今まで通りやって何もかも上手くいかなかったんだから、
やったことないことを試みるしかない。
自分で創り上げた世界に怯え続けてるなんてバカバカしい。
世界>自分……の心的態度で、世界に従おうとしているなんておかしい。
自分>世界なんだよ。
世界が自分に従ってるんだ。
だから自分が創り上げた世界に怯え続けてるなんて、どう考えたっておかしい!
それが真実なのがわかってるのに、心からそう思えない自分がおかしい!
そんな感じで私は毎日ちょっとずつ抵抗を手放しています。
何かの参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでいただき有難う御座いました。
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