ここ最近、思考停止を徹底していますって書いていると思うんだけど……。
その度に湧き上がる妄想にホイホイ乗っちゃってしんどい。
妄想に絡め取られる自分が不甲斐なくて、その度に自分を微かに責めていたから。
で、妄想が湧き上がらないようにしたくて『潜在意識 妄想』で検索したら出るわ出るわ……。
妄想で叶いました!みたいな記事が。
そこで冷静になれたというか。
妄想って敵じゃないじゃん。ってw
現実に囚われて、「あああぁ~もうダメだ。お先真っ暗だ……」って妄想は確かに好ましくはない。
でも、「こうなったら嬉しいな」「こうなったら最高なのにな」っていう妄想なら別に悪くはないはず。
思考停止中に湧きあがる妄想は後者。
現実に絶望してるのに、
『浮ついた妄想でニヤついてるダメな自分』だと決め付けて、それをどうにかしようと躍起になってたの。
妄想を、渇望属・思考科・妄想目みたいな感じで、渇望の一種だと決め付けてた。
それは私が現実に囚われて、現実をなんとかしなくては!と、
現実が自分の世界の全てのように思っていたから。
だけど現実と妄想、どっちかって言ったら本来の世界は妄想の方じゃん?って
気付いたというかなんというか……。
見えるから触れるから感じるからどうしても現実の方に重きを置いてしまう。
妄想は「たかが妄想」で簡単に切り捨てられる。
目で見えないから、触れないから、感じられないから。
だけど私は知識として、信念(?)として、
目に見えるものより目に見えないものの力の方が遥かに強いって
何故かわからないけど知っている。
死んでもおかしくない状況に陥ってもケロッと生きていることの説明は、
目に見える世界では説明がつかない。
目に見えないものの力が働いているとしか思えない。
目に見えるものに力なんて無い。
だから現実には力はない。
思考とか感情とか妄想とかの方がよっぽど力がある。
現実にあるのは妙な説得力だけ。
現実に影響されて、
あれやこれや頭の中心の中で現実に沿った好ましくない妄想をしてそれを引き寄せてただけ。
それにしっかりと気付いた私は妄想がわく間は思う存分妄想を楽しんで、
妄想が浮かばなくなったら思考停止を徹底するっていう風にした。
そしたらなんだろう?
あんなに絶望に打ちひしがれてたのが嘘のように気分が軽くなって。
用事もないのに歩いて20分くらいあるドラッグストアまで散歩する元気まで出てきたw
妄想で『全てを持っている人』になって、
全てを持ってるって事は当然『美人な人』になったつもりで帰り道を颯爽と歩いてたら、
車に乗ったイケメンお兄さんにナンパされたww
即効性すごw
っていうか、自然と『なる』をやっていたみたいw
『なる』もこれくらい気軽な方がいいんだな……ってわかった。
好ましくない妄想が浮かんだら
「いや、これは真実ではないのを私はわかってるぞ。騙されないぞ~w」って切り捨てて、
楽しい妄想が浮かんできたら思う存分楽しみきる。
全てある、既にある、確かにw
妄想の世界なら全て既にあるじゃない!w
……それが真理かどうかは知らんです。
でも自分がそうと決めればそうなるのは真理だと知っている。
だから私は妄想世界を拠点にしながら、思考停止も続けて行きたいと思います。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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