小学何年生の頃のことだったか忘れましたが……
当時、画期的な家庭用ゲーム機が発売され、またたく間に大ブームになりました。
その名はファ○リーコンピューター!略してファ○コン。
学校に行ってもその話題ばかりで、
ファ○コンを持っていない子は話についていけないのです。
我が家は極貧で、住む家も母親の知り合いの家に間借りしている状態でした。
なので当然ファ○コンなんて買ってもらえるわけはないし、
親に買ってくれと頼むようなこともしません。(てか出来ません)
当時の私は誰とでもすぐに仲良くなってしまうような子供で、
違う学年の友達の方が多くいました。
その友達の中にファ○コンを持っている子がいて、
その子の家にお邪魔して一緒にファ○コンを楽しでいたので
それほど不満もなかったんです。
とはいえ家に帰るとヒマでヒマで(笑)
そしてああいうゲーム特有の中毒性も出てきてウズウズしてました。
だけど19800円もするゲーム機、ソフトもあわせるともっとかかる。
小学生の自分にはどうしたって買えるわけはないし、
お金がなくて親が苦労しているのは見ているのでねだる気にもならない。
で、どうしたかというと……
作ったんです、ファ○コンを。
ダンボールでね、立体的に。
小学生が作ったにしては上出来なくらい良いのが出来ました(笑)
リセットボタンとかオンオフのスイッチとか、ソフトが入る穴とソフトも作ったし、
もちろんコントローラーもあります。
家に壊れて使えないテレビが放置してあったので、
その画面にゲームの画面の絵をはめ込んで。
出来上がった時のあのワクワク感…今でも思い出せます。
私はそのダンボールファ○コンで毎日毎日遊びました。
虚しいとかそういう卑屈な感情は一切ナシで、純粋に楽しかった。
友達の家で本物のファミコンをして遊んでいたので、ダンボールファミコンをしながら
頭の中でリアルにゲームを再現できていたというのもあるのでしょう。
そうしてどのくらいの月日が経ったのかは覚えてませんが、
よくお邪魔していたお家のお母さんからこんな事を言われたのです。
「うちのファ○コン壊れちゃって買い換えるから、古いやついらない?」と。
私は嬉々としてそのファ○コンをもらって帰宅しました。
間借りしている身で自分の部屋がなかった私は、
その家のお兄ちゃんの部屋でダンボールファ○コンを遊ばせてもらっていたのですが、
その日から本物のファ○コンでお兄ちゃんと一緒に遊ぶようになりました。
貰ったファ○コンは電源アダプタとの接触が悪く、
遊んでいる途中で接続が切れたりする以外は普通に遊べました。
が、日を追うごとにファ○コンの調子も悪くなり、
お兄ちゃんはイライラしてくるし私も飽きてきて、
ダンボールファ○コンの方が楽しいと思うようになり、
次の日からまたダンボールファ○コンで遊ぶのを再開しました。
それからあまり日をまたがなかったと思うんですが、
ある日家主のおばさん(お兄ちゃんのお母さん)から
ファ○コンを買ってやるという話が出てきたのです。
それを聞いた私は嬉しい反面、複雑な思いがしました。
純粋にダンボールファ○コンが楽しかったので、
ダンボールファ○コンを手放したくないと思ったからです。
しかし実際本物の新品のファ○コンが手に入り、
お兄ちゃんと一緒に遊んでいくうちにダンボールファ○コンへの興味が薄れ、
2ヵ月後くらいにダンボールファ○コンを捨てることが出来たのでした。
よく『人間は変化を嫌うもの』だといいますよね。
この時の私はダンボールファミコンに夢中で愛着があって、
もうファミコンなんてどうでもいいや状態でした。
なのでファミコンを買ってやると言われて嬉しい反面、
複雑な気持ちになったのだと思います。
あと、達人の言葉とかでよく聞く「楽しいことをしなさい」というフレーズ。
当時の私の「楽しいこと」というのがダンボールファ○コンだったんです。
とにかく夢中で遊んでいました。
当時の私が「ファ○コンなんて手に入るわけがない!私はなんて可哀想なんだ……」
という態度でいたなら結果は違ったと思います。
家主のおばさんにファ○コンをねだるなんて頭にもなかったし、
実際買ってくれるという話を聞いた時でさえ
「なんでこの人が私にファ○コンを?」と思いました。
多分壊れたファ○コンで遊んで楽しさを知ったお兄ちゃんが、
家主のおばさんに何か言ってくれたのかも知れませんし、真相はわかりません。
ただ、当時の私は「ファ○コンを手に入れてやろう!」と
思っていたわけではありませんし、
純粋に自分が退屈しのぎに楽しい事を貪ってただけでした。
その出来事をつい最近まで忘れていた私は、願望達成に力を入れるあまり
『今』を疎かにしてたと気付かされました…。
最後まで読んでいただき有難う御座いました。
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