この記事は『現実を創っているものとは?』の内容を修正加筆した記事となります。
リアルな想像が現実を創るとか信念が現実を創るとか、
感情が現実を創る
思考が現実を創る
宇宙が現実を創る
神様が現実を創る……など、人によって信じているものは様々でしょう。
どれも間違いではないと思います。
きっと間違いではないのでしょう。
何が現実を創っているのか?
私が経験した気付きをお話していきたいと思います。
現実を創るのは感情?
私はある時期、感情が現実を創ると本気で信じていました。
怒りや恐れ、不安や悲しみなどの感情に襲われた後に
現象化?していたせいで、それが裏付けとなってそう信じてしまったのです。
そうすると、感情が沸き上がるたびに「この感情はOKこの感情はNG」と、
自分の感情を監視するようになり、
「こんな感情で居たら現実になってしまう…」と、
感情が沸くことに怯えてしまったり、
負の感情をなんとかコントロールしようとしていました。
しかしある時、私は気が付きました。
全ての感情が等しく現実化しているっていうわけではない……ということに。
嬉しい楽しいなどの幸せな感情を感じることだって勿論ありましたが、
嫌な感情は高確率で現実化するのに対し、
幸せな感情が現実化する確率が異様に低かったのです。
そのことでずっと我慢する日々が続いてても「いつか良い事が起こるはず!」と、
信じていた私はその『いつか』がいつまで経っても訪れないことでとうとうキレました。
「嫌な事ばっかり起こるくせに、起きて欲しい事なんて全然起きてくれないじゃん!」
焦りと憤りで涙が出てくる程に心の中で感情が暴れ狂ってました。
その時ばかりは感情を抑えるという事もなく思う存分感情を放置し、
落ち着いた時にふと気付いたんです。
それまで嫌な感情を感じていた時に
「ああ、このままでは現実になってしまう」と、当然の様に思っていたのに対して、
幸せな感情を抱いていた時は「この幸せが現実化すればいいなぁ」と思っていたことに。
このニュアンスの違い、わかりますか?
嫌な感情が現実化することは当たり前に思っているのに対して、
幸せな感情が現実化することに関しては「だったらいいなぁ」みたいな
希望的観測だったんです。
それまで感情は一律で現実化すると信じきっていた私でしたが、
感情には現実を創る絶対的な力なんてないんじゃないか?と、目が覚めたんです。
現実を創っているのは……?私なりの見解
それと同時に「じゃあ何が現実を創っているんだ?」という疑問が湧き始めます。
起きて欲しくない事は起きている。
起きて欲しい事は頑として起こらない。
……何故なんだ?
なんでそんな意地悪なことが起きているんだろう?
潜在意識が、宇宙が、神が、選り好みで現実を創ったりするのでしょうか?
「お前にはこんな現実がお似合いだ。この現実はお前には相応しくない」
そんな風に現実が創られるのか?
なかなか思うように引き寄せられないと、無駄に被害妄想的思考に陥ります。
そこでふと、こんな考えが頭に浮かびました。
「こんな現実がお似合いだ……って思っていたのは、
神様なんかじゃなくて自分自身なんじゃないか?」と。
嫌な現実が起こる事を疑いなく思っていたのも、
幸せな現実が起こる事を「そうなれば良いなぁ」程度の淡い期待くらいにしか考えていなかったのも、
神や宇宙や潜在意識とかに決められたものでもなく
自分で自発的に決め付けていたことだと、気付いたのでした。
現実味があるとか、しっくり来るとか、
そんな言い訳をしながら、ダラダラと嫌な現実を決定していたのは自分。
そんな都合のいい事起こらないよね……と、
逃げ腰で起きて欲しい事を本気で起こそうとしていなかったのは自分。
実際に?現実を創造する力を持っているのは神とか潜在意識とか、
そういう『見えない力』なのかもしれませんが、
何を起こすか?それを決めているのは紛れもなく自分でした。
決定権は自分にあったんです!
「(願望が)叶うのが当たり前と思えるくらいまで想像しろ!」と、
どこかの達人さんが言っていた気がするけど……
起こったらいいなぁ気分のふんわりした「願望」と
起こるのがほぼ当たり前だと思っている「嫌なこと」なら
そりゃあ、嫌なことの方が起こるよね……って。
それまでの現実を振り返って、照らし合わせてみて、
妙に納得してしまったのでした……。
まとめ
現実を創っているのは思考とか感情とか漠然としたものより、自分!
(思考も感情も自分の一部なのであながち間違ってないけど)
「(願望が)叶うのが当たり前と思えるくらいまで想像しろ!」と、
どこかの達人さんが言っていた気がするけど……
それを「嫌なこと」でやっていたんだなぁ……とゾッとしました。
いかがでしたか?ちょっとでも参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただき有難う御座いました。
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