この現実は、何もかも自分の決定で出来ている。
例外は無い。
全部自分が決定したこと。
不都合な現実ループで取り乱してる時ほど、この真実が見えなくなる。
こんな不都合で意地悪な現実を自分が決定してるなんて認めたくないから。
だけど動かざる真実。
『彼に愛されて無い自分』を決定してるから、そのように見える現実が創られる。
『お金がない、支払いができない』という自分を決定してるから、
お金がない、支払いができない現実が創られる。
確かに意図して「自分は愛されてない」とか
「お金がないから支払いができない」と決定してるわけではない。
だから自分が知らず知らずのうちに下してる決定に気付かないだけ。
ナチュラルに当たり前に思ってることだったりする。
前提=決定
良い事があれば「まぐれ」だと却下するのに、
悪いことがあれば「自分の人生こんなもん」と積極的に採用する。
そうしてそれが前提になってしまったりするんです。
ある日の私は絶不調だった。
支払いの期日までにはまだまだ余裕があるのに、
お金が入って来る気がしない、アテがない。
支払日間近になると毎月襲ってくる不安が前倒しでやってきた。
不安が大暴走で酷かった。
感情を感じ切ったり、今今メソッドをやっても効果なし。
……幾分か治まってもまたぶり返してくる。
「なんでこんな意地悪な現実ばっかり創られるのっ?いい加減にしてよ!」
と、誰に対してでもなく(多分自分に?)キレた。
で、その日はふて寝して、次の日の朝も機嫌の悪さは継続してて。
「意地悪な現実は変わらないままか」と、ふて腐ってる時にふと思った。
「『意地悪な現実』と認識してるのって自分だよな」って。
「意地悪な現実」って決め付けて、それをループで創ってるのも自分だよなって。
で、不安や先行きの不安が浮かんできた時も、
「ない事を前提にして(決め付けて)、起きて欲しくないことばかりの現実を創ってるのも自分だ」
「あるって事を前提にしていれば、先行きの不安なんて出てこないもんな……」
最近も、膀胱炎がまだスッキリ治らなくてイライラしてて
「ああ、膀胱炎っていうのをいつまでも治らないものだと認識してるのは自分だよな」……と。
私はいつの頃からか『現実は怖いもの』だと認識していました。
だから私の認識(意図せぬ決定)に従って怖い現実が現れ続けていたんです。
『認識を変えろ』と、達人さんたちが言うのはこういうことなんだろうなって。
結局自分で現実を真に受けて、自分で決めて、自分で創ってるんだということを再認識しました。
モヤモヤとか重た~い感情につきまとわれてる時っていうのは、
自分がロクな決定してないなっていうサインだから注意するようにしてる。
それで先行き不安やら恐怖やらを感じつつ
「……でもそれを創ってるのも自分だよな~。嫌ならやめりゃいいだけだもんな」
と、都度決定を変更することをしてます。
認識を変えるのにあたって
「でも現実がこうだから、どうせムリだし」みたいな思考がわくことがよくあります。
でも、その考えっておかしいんですよ。
どうして自分が目の前の現実に従わなければならないと思っているのか。
あまりにも当たり前すぎて不思議にも思わないんじゃないでしょうか?
当たり前のように『現実にあわせた決定をしなければならない』と思ってるなんて、
それ自体がおかしいんです。
何がって……。
現実を創ってるのが自分なのに、現実よりも立場が下みたいじゃない?
確かに自分よりも現実の方が力を持ってそうに感じますよね。
でもそれは見せかけであって真実はそうじゃない。
目に見えないものよりも目に見えるものの方が真実味がある。
だから現実の方が力があるように見えて、自分の力を軽く見てしまうんです。
本当は見えないものの方が何千倍も力があるのに。
最終的に決定権があるのは自分だから、自分の決定に沿って現実が出来上がる。
現実に従わなきゃならないと思いたくなるような現実が。
現実は自分の決定に従って出来上がってるのに皮肉な話です。
自分が決めている。
対人関係なんかは顕著に出ます。
「私、あの人苦手なんだよなぁ」と思ってるから会う度に
「あ~、やっぱり苦手」と思うような事をお見舞いしてくれます。
「ん~、でも、そんなに悪い人でもないのかも」と思うようにして接してみると、
良い面が見れたりします。
気の持ちよう?
そう言われればそうかも知れませんし、
「やっぱり自分が創ってるんだ!」と思えばそうなのです。
結局は自分の決定で出来てるんですから。
本日も最後まで読んでいただき有難う御座いました。
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