対処法を求める在り方

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昨日の記事の補足(or蛇足?)にもなりそうなんですが書きます。

 

探す限り見つからない

 

これは108さんの言葉なんですけど。

問題を解決したい時とかにも同様のことが言えるんです。

対処法を血眼ちまなこになって捜している限りは見つからない。

かえって問題が量産されてしまう。

 

それは昨日の記事でも説明したように、現実は『在り方』に従うからです。

対処したい『私』に従う現実。

いかんなく『私』に対処させるために、現実は問題を創り続ける。

 

果たしてあなたは、

『対処しなければならない私』という在り方ではない

自信を持って言えるでしょうか?

 

好きな人の恋人の私、大金持ちの私、人気者の私、上手く行かなくて躍起やっきになってる私……。

『理想通りの私』と、『問題を対処しなければならない私』

強烈に染み付いているのはどっち?

普段ナチュラルに振舞っているのはどちらの在り方?

 

自身が気付かない奥深くの所まで、

潜在意識的なものは読み取って叶えてくれているので、現実を見れば明らかです。

潜在意識的なものは全てお見通し。

……嘘は通用しないんです。

 

対処法を探す限り見つかりません。

対処しようとする在り方を手放す必要があるんです。

これは相当勇気の要ることだと思いますけど。

見えない力を信じるのか、目に見える物事に惑わされ続けるのか……試されている。

これが俗にいう『お試し』なのかも知れません。

 

あなたの世界は全てあなたで出来ています。

空も海も山も、友達も大好きな人も嫌いな奴も、大切な物もゴミも、大金持ちも貧乏も

ぜーーーんぶ、あなたで出来ています。

だからあなたが勇気を出して『対処する私』を捨てて、

『解決した私(対処する必要もない私)』になれば、世界はちゃんとそれに応じる。

そういう法則だから。

 

 

ここで誤解してほしくないのは

対処しちゃいけないと言っているわけではありません。

何が何でも対処しない!って意地になるわけでもありません。

 

私が言いたいのは、やりたくもない対処に追われて苦しむのはやめれば?って意味です。

対処するのが楽しくて仕方ないと思っているなら話は別。

やりたくてやるのと、やりたくないのに渋々やっているのでは精神的に全然違うからね。

そもそも属性が違う。

 

やりたくてやる=快

やりたくないのにやる=不快

 

このくらい違う。

この快や不快が反映される現実の違いは想像に易いと思います。

 

すみません、今日はいつも以上にまとまりのない記事になっちゃってます(笑)

 

『対処しなきゃいけない私』をやめてみて改めて思うことがあるんですよ。

如何いかに『対処しなきゃいけない私』に自分を乗っ取られていたか。

どれほど不快に冒され続けていたのか(一日中、一年中、ん十年……)

それを選んできたのも私自身だったんですけどね(汗)

 

で、それがなくなるとね……すーっごく楽。

心の中がスーーッとラクなの。

肩の荷が下りたどころの話じゃないのよ奥さんっ!(笑)

全身から重りが落ちたくらい、老廃物も全部抜けたくらいの爽快さなの。

それでね

「あー、私って自由だったんだなぁ」ってしみじみする。

 

だからね?

解決できそうな問題ならサクッと対処するのも良いけど、

途方もない自分にはどうにもならないような問題なら、

対処は目に見えない力に任せて心をラクにしていた方が良いんじゃないかな?

だって対処のしようがないからどうにもならないわけだし。

それをどうにかしようとしても仕方なくない?エネルギーが勿体無いよ。

 

自分の心に素直に従って、やりたい事を楽しむ。

ただそれだけが自然な生き方のような気がする。

出来る限り雑味は捨てていきましょう。

っていう話でした。

 

最後に。

世界=自分って事がスッと腑に落ちた良い動画を見つけたのでシェアしますね。

 

 

 

本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました!

 

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