歪んだ鏡で自分の姿を見たことありますか?
縦に湾曲した鏡で姿を写すとスリムで長身に見えるし、
横に湾曲した鏡で姿を写すと寸胴で短足に見えたりするアレです。
歪んだ鏡だということがわかってて見ているから、
その姿を見て「自分ってこんな姿なんだ……」なんて絶望したりとかしないですよね?
鏡の中の姿をどうこうしたりしようとか必死になったりしないでしょ?
実際の姿を知っているから、鏡の中の歪んだ姿を見てもうろたえたりせずに
「わー、ウケるw」って感じで見るじゃないですか?
鏡の中の歪んだ姿が実際の姿だなんて誰も本気で思ったりしないでしょ?
遊び感覚で眺められているはずです。
……この感じが108さんの言うところの正常な知覚。
で。
現実という物は、歪んだ鏡に映っている色んなものの姿です。
で、鏡の中の歪んだ世界を見ているのがあなた。
実際のあなたは歪んでなんかいないのに、
あなたは鏡の中の歪んだ世界や歪んだ自分の姿に釘付けです。
「これが自分なんだ……これが世界なんだ……なんて醜い!これはなんとかしなければ!」
と、真剣に考えて取り乱しているんです。
昨日の記事で言っている「現実に整合性を取ろうとする」行為は、
歪んだ世界に益々のめり込んでいく行為なんです。
自分の真実の姿なんか知らないから、歪んだ姿にのめり込むのは仕方ない?
いいえ。
あなたは自分の真実の姿を知っています。
ただ、それを信用できずに歪んだ姿を自分だと思い込んでいるだけです。
誰でも「ああなりたい」と思い描いている理想の自分がいるはず。
それがあなたの真実の姿なんです。
叶った世界の記憶として思い出すのが『願望』だと以前の記事で書いたと思いますが、
歪んだ世界に釘付けになっていても、あなたは本能で真実の姿を思い出そうとしているんです。
なのにあなたは「いーや、そんなはずはない!この醜い自分が本当の姿だ!」と、
頑なに言い張ります。
理想の自分が真実の自分だと、誰もが信じたがりません。
だって現実が、現実が、現実が~って、歪んだ世界を信じ込み、
頑なに歪んだ世界で培った信念を握りしめて離さない。
どういうわけか「なりたい!叶えたい!」と、言いながら、
理想の自分が真実の自分だということは、頑として否定し続けているんですよね……不思議~(汗)
「現実が気に食わない!なんとかしたい!」ってどんなにあなたが躍起になっても、
鏡の湾曲を正すのは、潜在意識とか別の領域的なものにしかできません。
あなたの注力する所はそこじゃないんです。
あなたがするべきは真実の自分を取り戻すこと。
在り方をそこに合わせるんです。
「ああ、歪んだ投影に見入ってたな」って漠然と気付くだけでいい。
書いてて自分でもちょっとわけわかんなくなってきていますがw
108さんの言う知覚の傾倒ってどんなものかなーって思ってたら
ふと急に思いついたので記事にしてみました。
当たらずとも遠からずなんじゃないかとw
本日も最後まで読んでいただきまして有難う御座いました。
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