渇望の幸せと成就の絶望

道しるべ 気付き・心の在り方

 

希望にすがる材料となり得そうな物を泣きながら全部捨てて、

うつろな目でアファ&思考停止を続けています。

思考停止を続けていると、ふと期待をあおる妄想に絡め取られそうになる。

それに気付いて思考停止して、また期待を煽る妄想に絡め取られる。

その繰り返し……。

 

あまりにしつこいと、いつもの中途半端なメンタルならイラッとしながらも

無理矢理にでも思考停止をゴリ押ししてたと思う。

どうせ叶いもしない妄想をダラダラしたって時間のムダだって思ってるから、

妄想に気付いた時点ですぐに切り替えをしてたんだ。

 

しかしこの弱り切ったメンタルではそれもしんどくて。

だから、湧きあがる妄想を行き着く所までさせてみた。

進行していく妄想のストーリーを眺めていると、

とうとう願望成就っていうか渇望してた対象を得る所まで行き着いて、妙な感覚におちいった。

 

「あれ…?これ、そんなに渇望する程の物か?」と。

「こんなしょうもない物をあんなに欲しがってたの?」みたいな。

絶望するほどに渇望してた物が、妄想の中とはいえ、いざ得られると思うとつまらなく感じたんです。

 

両思いより片思いの頃の方が楽しかった……みたいな感覚。

わかりづらい例えでごめんw

 

対象を手に入らない物として見ると、

誇大こだい美化されてとてつもなく素晴らしい物としてがれて見てしまうけど、

それが手に入るようになると本来の実像で見える。

この辺が認識の違いによる幻なんじゃないかな?って思った。

認識の違いによって如何様いかようにも見えてしまうんじゃないかなって。

 

で、私は、欲しくて欲しくてがれていた物が、

実はつまらない物だったなんて知りたくなかったんだと気付いた。

 

素晴らしく見えているものに憧れ続けて、欲しがり続けて居たかっただけなんじゃないか?って。

実像を見て幻滅するのが怖かっただけなんじゃないか?って。

 

願望成就が絶望に似たものだと気付きたくなかったんだ。

 

渇望して遊んでいたかっただけ…。

だからこの現実が創られたんだってジワジワと実感した。

 

だって、この現実なら思う存分欲しがり続けていられるから。

渇望を楽しむにはこの現実は最高じゃないか!と、気付きを得た感動と同時に

「なんて皮肉なんだ…」と、笑えてきました。

 

幸せな状況から突き落とされた時、

「私に幸せは似合わないんだ」って、分不相応だから取り上げられたんだって本気で思った。

けど、そうじゃなかった。

 

 

世界は本当に本当に自分に忠実なだけなんだよ……。

今の現実は渇望している対象を更に美化してくれるようなお膳立ぜんだてが随所ずいしょにされていてさ、

思う存分渇望を楽しむような仕様しようにしてくれてるの(笑)

 

なんかすごい気付きを得たような気はするけど、

それをどう活用したらいいのかは現時点では全然解んない。

 

で、何が自分にとって何が最善なのかなんて私にはもうわからない。

何が素晴らしい物かしょうもない物かなんてわからない。

良い悪いを判断することすら怖いんだ。

いや、達人さん達は「判断するな」ってよく言うから逆にこれで良いのかも知れないけど。

 

だからね、私はとにかく思考停止を続ける。

私はもう、何も考えない。
私はもう、自分から何もしない。
私はもう、何も望まない。
私はもう、何も欲しない。
私はもう、何も執着しない。
私はもう、何も期待しない。
私はもう、一切の希望を持たない。

このアファメーションは今の私にとってすごく宝物。

絶望感でいっぱいの時に自分の中から湧き上がった自暴自棄じぼうじきの言葉だった。

だけど今は『既に在る』の真理につながる大事な言葉だと思ってる。

 

渇望も成就もどうでもいい……。

ただ今は自分の心が少しでも回復するように淡々と思考停止を続けるのみです。

 

 

 

本日も最後まで読んでくれてありがとうございました。

またね。

 

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